
善悪の彼岸
解説で学ぶ

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844 – 1900)
1886年
「善悪の彼岸」は、ニーチェが西洋哲学と道徳の根源を鋭く問い直した画期的な書です。既成概念を打ち破り、新たな価値創造を促すその思想は、現代に生きる私たちにも深く響きます。
私たちが当たり前に価値あるものだと考えている「真実」。でも、それは本当に絶対的なのでしょうか。昔から哲学者たちは、「真理への意志」、つまり真実を追い求めようとする心を、知的な探求の証として尊重してきました[1]。しかし、ニーチェはここに根本的な疑問を投げかけます。確かに私たちは真実を欲しがる。でも、「なぜ、むしろ嘘や不確かさ、あるいは無知ではダメなのか?」と[2]。この問いは、私たちの価値観を根底から揺さぶります。そして、ニーチェはある驚くべき結論にたどり着くのです。それは、ある考えの価値を決めるのは、それが客観的に正しいかどうかではなく、それが「生を促進し、生を維持する」力を持っているかどうかだ、というものです[13]。つまり、ある意見がたとえ嘘であっても、それが私たちの種を繁栄させるのに役立つなら、その意見は価値がある、ということになります。さらに踏み込んで、ニーチェは私たちの生存そのものが、実は「偽りの意見」に依存しているとまで主張します。論理的な虚構、現実を理想的な世界と比較すること、あるいは世界を数字によって絶えず偽造すること。こうしたものがなければ、人間は生きていけないのです[14]。偽りの意見を放棄することは、生そのものを放棄し、否定することに等しい。だからこそ、「偽りを生の条件として認識すること」[15]。これは従来の価値観を危うくする非常に危険な思想ですが、これを受け入れる勇気を持つ哲学こそが、善悪の彼岸に立つことができるのだと、ニーチェは考えたのです[15]。