
市民的抵抗の義務
解説で学ぶ

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817 – 1862)
1849年
ソローの「市民的抵抗の義務」は、個人の良心に基づく不服従の権利を力強く説きます。不正な法に対し、市民がいかに主体的に行動すべきかを問い、ガンジーやキング牧師など、世界の非暴力抵抗運動に多大な影響を与えました。
「法を守ること」。それは市民として当たり前の美徳だと、私たちは考えていますよね。しかし、思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、ここに潜む恐ろしいパラドックスを指摘します。法を無批判に尊重することが、かえって善意の人々を不正義の道具に変えてしまう、というのです。彼はこう言います。「法が人びとを少しでも正しくしたためしはない。むしろ、法を尊重するあまり、善意の人びとでさえ、日々不正義の担い手にされている」[14]。 ソローが鮮やかな例として挙げるのが、兵士の姿です。大佐から一兵卒まで、隊列を組んで戦場へ向かう兵士たち。彼らは自らの意志や良心に反していても、ただ命令に従い、見事な秩序で行進していきます[15]。これは、心臓が激しく脈打つほど、つらい行進ではないでしょうか。ソローに言わせれば、こうして国家に仕える多くの人々は、人間としてではなく、その身体で奉仕する「機械」にすぎません[18]。自らの判断を放棄した、国家の部品なのです。 ここで、私たちに根源的な問いが突きつけられます。もし法律が、あなたに他人への不正を強いるものだったら、どうしますか。ソローの答えは、驚くほど明確です。「もし法が、きみに他人への不正の担い手になることを要求するなら、言っておくが、その法は破りなさい」[61]。これは単なる提案ではありません。国家が不正を要求するとき、自らの人生を「機械を止めるための、対抗する摩擦となせ」[61]という、魂を揺さぶる呼びかけなのです。